伝統文化 臨津閣自由の橋

作成者관리자日付03/26/2019

臨津閣自由の橋1
臨津閣自由の橋2
  • 位置

    パジュ

  • 住所

    京畿道坡州市汶山邑馬井里 509-1

  • 電話番号

    031-953-4744(臨津閣観光案内所 09:00~17:00)

  • ホームページ

    https://tour.paju.go.kr(坡州市文化観光ホームページ) 

  • OVERVIEW

    ソウルと新義州をつなぐ京義線は坡州市文山(パジュ·ムンサン)から臨津江(イムジンガン)のドクゲ橋を渡って北朝鮮の開城(ケソン)を通り過ぎた。 朝鮮戦争が起こった当時、臨津江(イムジンガン)を通る犬橋の鉄橋が爆撃され、京義線は物理的にも完全に途絶えてしまった。 

    当時、京義線は上下行線を運行する複線であった。そのためドクゲ橋も上下線の二つの橋でつながっていた。 上り線の線路が通る橋は破壊されたまま今まで残っているが、下り線が通る橋は戦争後、人が渡る歩道橋と復元された。 かつ、7·4共同声明以後、両国交流が交わされ、韓国側の代表団が行き来する橋として活用してきた。 

  • HIGHTLIGHT

    ‘自由の橋’というは、朝鮮戦争が終わった後、この橋を通じ韓国軍とUN軍捕虜の送還が行われたから名づけられた。破壊された上り線は、今でも‘ドクゲ橋’と言い、戦争の傷跡を悟らせる場としてなっている。 

    2000年、南北首脳会談が行われ、両国の間に和解協力ムードが高揚し、京義線の鉄路復元への期待感が高まった。 政府は民間人統制区域内に都羅山(トラサン)駅を新たに建設し、文山まで運行していた京義線を延長運行した。したがって 臨津江鉄橋を新しく建設する際に、人と車が共に渡る‘統一大橋’を敷いて自由の橋はなくなった。

    現在、臨津閣で見る自由の橋は坡州市が昔の姿のまま復元したものだ。 数千年にわたって同じ歴史を持ち、単一国家として生きてきた韓民族に統一は宿命ものである。 自由の橋を復元したのも、統一を忘れてはならないという意味だ。 なお、臨津閣を訪れる人々は自由の橋を行き来しながら分断の現実を振り返り平和統一を誓っている。